大阪行き急行「銀河」は今年3月に廃止されているが表示は残っている。あ、よく考えたら「はやぶさ」「富士」の下りは大阪に停車するが非現実的か。
よく見ると、長崎行きの表示が消された痕跡が見える。もちろん「さくら」が無くなった時だ。
3月以降は、サンライズの出雲市・高松だけが残されるのだろうか。
17時20分過ぎに「はやぶさ」「富士」の編成が回送されてきた。
東京駅に入る機関車がけん引する列車はこれだけだ。

所定の位置に客車を停めたら、機関車を反対側に付け替えるので、こちら側にはヘッドマ ークが無い。
先頭となる側の様子はこれ。

EF66も、ブルトレけん引は来年3月で無くなる。実現した時は「夢が現実になった」とファン
全体が驚喜したのも今は昔。
今日のけん引機45号は、検査明けから時間が経っていないようで大変きれい。
ヘッドマークは、単独列車時代のオリジナルデザインと比べるとどうしても貧相に見える。
「はやぶさ」熊本行きの客車の表示。
自分が乗ったのは、1号車(一番先頭車両)で、スハネフ14101だった。
つまり、元はオハネフ24だったものを電源エンジンを搭載して14系に編入したもの。
自分のネグラとなる寝台はこれ。これの左側上段。

個室が取れず開放型ハネとなったのはやむを得ないが、上段にしたのは失敗だった。
というのは、今の寝台車は基本的に朝になってもベッドを片づけないから、座席となる
部分を下段の客が占有したままになってしまう。(言えば座らせてはくれるだろうけど)
だから上段の客は居場所が無い。通路にある折りたたみ椅子に座り続けるのは辛いし
人が通り旅によけなければならず、落ち着かない。
昔の様に車掌補(寝台ボーイ)がいて、時間になればベッドの解体をしてくれる時代は
そういう問題は無かった。3段式のころなら上中下段の客が平等に窮屈になっていた。
結局は、別の区画で空いたところに移ったが、本来しなくてもいい遠慮を強いられるのも
寝台列車が衰退していった要因の一つのように思えた。「銀河」ぐらいの時間帯なら、起きて程なく下車時間だったから、あまり気にならなかったのが。
そういう状態だったので、ほどほどにして上段のベッドに潜り込んだ。寝ながらセリーグの
CSを携帯のワンセグ(音無し)で見ていた。そうしたら下段の老人夫婦が、同じ番組を
しかも大音響で見始めるではないか。何とか苦情が出る前に巨人が勝って終わったので
良かったが。
他にすることもないので多分23時ごろには寝たはず。よく憶えてないけど。
朝5時ごろ、広島到着前に起きた。当然真っ暗。
途中、どこかの駅で20〜30分ぐらい臨時停車。あとで聞いたら爆発物を仕掛けたらしいというイタズラ通報があったとかで、その確認のためだったらしい。
徳山で車内販売が乗り込んでくる旨は、放送で告げられていた。
ただし、1号車から乗り込んでくることは、鉄道ファンぐらいしか知らない。
食事を確保したい欠食児童が1号車に集まってくる。徳山から予定通り車販のオバちゃんが乗り込んできたが、待ち構えていた人たちが行列をなし、デッキが売店と化している。車内に入っていないので車内販売にならない。
幸い1号車に乗っていた自分も「ふ〜ん、そうなのか」という風に行列に加わり、幕の内弁当をゲット。デザインは0系新幹線さよなら記念となっている。

乗り込んで30分以上経ってから、やっと車販のオバちゃんは車内に入れた。1号車を通り過ぎる時点で弁当の大半は捌けたようだが、知らないで待っていた2号車以降の人たちは気の毒である。
下関に到着。
ここで、機関車交換となる。関門トンネル専用のEF81−400番台である。

JR九州の大分運転所所属の機関車だが、定期の運用はこれしかない。
「はやぶさ」廃止後はおそらく廃車となろう。臨時のムーンライト九州を運転する時は、JR貨物に委託するようになるのではと想像している。(注:JR九州のEF81は運用を離脱して廃車。ムーンライト九州は最近運転がなく、シュプール用14系客車の廃車もあり復活は絶望的。)。
トンネルをくぐると、雪国ではなく、門司。
ここから交流区間となり専用のED76に交代する。
「はやぶさ」は熊本でヘッドマークの付け替えをしないからか、前後にヘッドマークをつけていて、記念写真を撮る人たちには嬉しいサービスになっている。
ちなみに「富士」の方の後ろ側にはマークは付けてなかった。
九州内も淡々と走りながら、約20分遅れで終点の熊本着。
この後、さらに南下して新八代まで行く。
九州新幹線と在来線を「同じホーム内」で行っているのだが、これは九州新幹線の博多まで全通と同時になくなるだろう。ということでこれも見ておきたい。
新八代はこんな感じである。
見れば判るが、右側が九州新幹線「つばめ」、左側が在来線特急「リレーつばめ」。

「リレーつばめ」が新八代駅に入ってくる様子である。
左側に見える線が延長時の新幹線の線路で、今は待避線として使われている。

リレーつばめから乗り継ぎ客を乗せると、新幹線「つばめ」はさっと発車する。
リレーつばめの側面には、この年の大河ドラマの「篤姫」のラッピングが施されている。

この後、新八代からは「九州横断特急」という名前のディーゼル特急に乗り込み、熊本へ戻る。

疲れたのでこの日は市内でちょこっと散策しただけで投宿。
熊本の宿を朝6時に出て、特急有明に乗り鳥栖まで。そこから原田(はるだ)に向かう。
「はやぶさ」の走行写真を撮るためだ。
平日なのに同業者が2名いる。
雲がかかってはっきりしない天気だったが、なんとかそれなりのショットを確保。

原田は、筑豊本線の終点にあたる場所。
筑豊線は折尾−桂川(けいせん)-博多(篠栗線経由)で電化されて「福北ゆたか線」という愛称をつけられ、博多直行の電車がガンガン走る路線となった。
取り残された桂川-原田間は「原田線」という愛称となるが、1日6往復しか走らない

昭和30年代から、関西からの特急・急行が折尾の手前から筑豊本線に入り、直方・飯塚に停まって原田で鹿児島本線に戻るという経由を行ったものがあった。
1975年の新幹線博多開業までは、京都−佐世保間の特急「かもめ」が有名。小倉で長崎行きと佐世保行きを分割し、佐世保行きが筑豊線経由になる。両方が停車する佐賀駅では、特に上りは同じ京都行き「かもめ」が1日2本走ることになる。佐賀駅での発車時刻は異なるが、京都到着時間は一緒という、事情を知らないと混乱しそうな形態だった。
それ以降は寝台特急「あかつき」の佐世保行きが、やはり同じように筑豊線経由を確保した。(たしか1985年に廃止された・・・はず?)
そういう過去から思うと、今の原田線の現状が寂しい。
その後で、マイミクさんとミニオフの為、小倉へ向かう。まずは特急停車駅の二日市へ。
12時30分小倉着の有明に乗るつもりだったが、「ゆふDX」と「ソニック」の乗り換えの方が早く小倉に着く。ゆふDX用のキハ183系も初めて乗るので丁度いい。
小倉に着いて宿に荷物を預け、改札で待つマイミクさんを背後から襲撃(笑)。
12時30分着って伝えてあったから、まさに不意打ち。
昼食を小倉駅内にある屋台村で「モツ鍋」をいただくことに。初めてでしたが大変ウマい。
あまりウマいので、汁まで堪能してたら、どうも締めに麺を入れるつもりだったようで、すみませんでした(^^;
食後は小倉−西小倉間を徒歩で移動、小倉城は外観を見ただけで良いことにしました(^^;
その後、マイミクさんの本拠地であるホールで連れパチ。別に旅してて打っちゃいイカンという法は無い(ことにしよう(^^;)。
しかしこういう時間は経つのが早い(笑)。あっと言う間に6時になる。
やはりマイミクさんの本拠地である焼肉屋さんに連れて行ってもらう。店の名前に相反して、値段・ボリュームともに良心的でした(笑)
二次会で70年代の歌謡話に花が咲く(笑)
朝は下関まで行き、「はやぶさ」「富士」を牽くEF66の長旅を終えるシーンを撮る。

昔のブルートレインブームの時に、下関駅に進入するEF65P型の写真を表紙にしたノートを持っていた。その印象があったので、同コンセプトで撮りたかったのです。
その後、再度九州に入り、折尾へ行く。
昨日は筑豊線の南側の終点だったので、こんどは反対側の若松へ行きたかったから。
ところが若松よりも折尾駅に驚かされることになる。
ホームの屋根。

鹿児島本線ホームから筑豊線1・2番線に連絡する階段。

1番線にある、職員用の「福祉理髪所」。

そして有名な駅舎。

話しかけてきたJRの運転手さんによると、建て替えの計画はあるが、配線が複雑なこともあるから完成までには14、5年掛かるんじゃないかなぁ?とのこと。
そしてもう一つの名物「かしわめし」を買う。
ごはんを醤油の入っていない、鶏のスープだけで炊いていて、ほんのり甘い。
かしわも美味しく、名物たる所以。
ここでは駅売りのおじさんがいるそうだが、運悪く火曜がお休みとのことで、構内のそば屋で買い求める。

若松-折尾間も「福北ゆたか線」に含まれなかった筑豊本線の末端部で、こちらは「若松線」という愛称になっている。
乗ってみての印象は、ローカルなのは鉄道だけで、沿線は建物も多く自動車の交通量も多い。
若松駅の車止め。ローカル線の雰囲気を醸し出すその先には高層マンションが建つ。

午後からは「九州鉄道記念館」へ行くため、門司港へ向かう。
有名すぎる門司港駅舎。門司港レトロの象徴でもある。駅内はレトロ調にしているが、いささかわざとらしい。

門司港駅からすぐ左が海で、関門橋が見える。

九州鉄道記念館は門司港駅のすぐそばである。(駅舎に向かって左側)
しかし何を間違ったが、変な方向へ行ってしまい迷うが、思わず貨物線の配線跡、廃駅を
見つけてしまった。この線は、2009年に「門司港レトロ観光列車」の線として復活することになる。


九州鉄道記念館は、入口のそばが車両展示エリアである。
いちいち紹介しないが、感動したのは展示車両の整備状況である。

SLの機構部分がちゃんと磨きこまれている。(一般的には銀色で塗ってしまうところが多い)
一番の目当てが「キハ07」。
豊後森機関区跡の扇形庫に保管されていたため、特に車内は現役当時の風情がよく残っている。


館内に入り、一通り展示物を見学する。
最後にカフェでお茶。
ここのカウンターは、かって787系特急「つばめ」のビュフェに使われていた部材を再利用している

ちなみにこれがビュフェ営業中当時の写真。

記念館見学後は、小倉に出て有明15号で博多に向かう。
ここまでフリーきっぷの特権を生かして、特急に乗りまくってきましたが、印象として九州での特急の短距離利用が浸透している感じ。極端のになると黒崎で乗って折尾で降りる(間は1駅)というのも目撃しています。
またJR九州独自のサービスとして、特急列車の最終区間は、指定席車の空席を自由席特急券でも利用できるというのがあります。(指定券所持者が優先なのは無論であるが)
(例)ソニックの場合:小倉→博多、リレーつばめの場合:鳥栖→博多。
博多から福北ゆたか線に乗る。
飯塚付近にボタ山らしきものがあったみたい。(見えたが、ボタである確証なし)
まっすぐ折尾まで出て、またも「ソニック」で小倉着。投宿。
昨日は下関だったが、今度はトンネルをくぐった後ということで門司に向かう。
ただ生憎の曇り空で薄暗い。これではまともに露出が稼げない。困ったなぁ。
それでも何とか、ISO800まで上げて、何とか撮了。
(「交直転換」の柱を入れているのは、門司らしさを出すため、わざとです(^^;)

午後から天気が回復してきたので、原田へ向かう。
今度は有名撮影地(いわゆる「お立ち台」)へ行ってみる。先客が1名。 影が落ちるまで撮影。まぁそれなりか。

夕方、二日市まで引き返して、そこから特急「ゆふ」に乗る。
久大線で日田(ひた)まで行き、そこから日田彦山線を乗りつぶす。
「ようこそひたへ」で笑ってしまうのは元FSFXだからか(笑)
日田彦山線の大行司駅で黄色いハンカチの満艦飾を発見。
どうも高倉健(福岡県中間市出身)の父親がこの近くの炭鉱で働いていたことに由来するのだとか。

しかし、真っ暗じゃ乗りつぶしても余り意味なかったなぁ(笑)
田川後藤寺で小倉行きに乗り換え。
九州滞在最終日。長かったような、あっという間のような。
最後に、「はやぶさ」の編成写真を決めたい。適当な直線区間を事前にロケハンしておいた。
都府楼南駅のあたりが良いと検討をつけておいたが、電車を降りてみると全然印象と違った場所で焦る。
とりあえず、駅の反対側でかろうじて直線の場所がある。
もう時間がないのでそこで撮るしかなかった。

後日談だが、「はやぶさ」の写真だけ、ものすごくピンの悪い仕上がりでガッカリ。
上の写真は、一見撮れているように見えますが、シャープネスをかけてごまかしたもの(笑)
他の列車はそれなりに撮れていたので、無念。
撮影後は、福岡ゾーン切符の南限である大牟田まで出る。
その昔、西鹿児島行き787系「つばめ」に感動して以来ご無沙汰だったので、「リレーつばめ」であの感動をもう一度呼び起こしたかった。
大牟田は、国鉄時代の風情が残る、いい感じの駅。


「リレーつばめ」の軽快な走りは相変わらず健在。やっぱり九州新幹線なんか要らないと今でも思う。
4号車は、サハシの改造車(指定席なので、最後の停車駅鳥栖を出発後に席移動)。
ビュフェのあった場所は、結構重厚な普通車室に改造されていますが、天井だけはそのまま残してあるようです。

午後8時近く、いよいよ九州を離れる。
「ひかりレールスター」乗車初体験(小倉→広島)
この広々としたシートは、東海道新幹線に慣れている眼には新鮮。
そして「0系」最後の乗車(広島→岡山)
引退にあたって外装色を原型に戻されており、とても懐かしい。

0系引退フィーバーの1か月前の様子ですが、ガラガラです。
光センサー式で無い、足踏み式の自動ドアが懐かしく、新鮮な感じです。
ドア上の「4号車指定席」の緑色の札も国鉄時代を彷彿させます。

売店スペースも残っていました。

岡山からはこれまた初体験の「サンライズ瀬戸」。
B個室のシングルを確保したが、とても快適。
往路の「はやぶさ」と寝台料金は1,050円しか違わないが、居住性は段違い。
こっちに先に乗っていたら、「はやぶさ」の開放ハネにはとても乗って居られなかっただろう。


熟睡できたせいか、翌朝5時前に目が覚めた。
沼津停車に間に合ったので、東京まで乗り通さずそのまま下車した。沼津では他にも数人の下車客がいた。
駅前のコンビニで早すぎる朝食を調達し、小一時間ほど御殿場線の始発電車までのヒマをつぶした。